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愛犬の黒ラブ賢と飼い主である賢パパ、賢ママの日常を気楽につづります。

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2010年10月27日

おぉ~、こんなものが出て来ましたっ!

先日会社で机の上の本立てを整理していると、本と本の間からこんなものが出て来ました。


おぉ~、どこかに行っちゃったと思っていたら・・・・こんな所にありましたか!

懐かしいっすねぇ~。

昭和57年って事は1982年だから・・・今からもう28年も前の事だったんですねぇ。

と言う事は・・・・賢パパがまだ33歳ぐらいの時の事でしたか・・・・

今でもはっきりと思い出しますねぇ、あの時の事は・・・

会社の同僚だったO氏と二人で赤石岳に登り、帰りは聖沢でイワナ釣りをして来る予定で出掛けたのですがとんでもない目に遭ってしまったんですよねぇ。

初日の登山開始の時はあんなに良い天気だったのに・・・赤石小屋を通過した昼過ぎだって聖岳がはっきりと見えていたのに・・・

山の天気は変わりやすいとは言いますが・・・それにしても急変でした。

3時頃からの雨と雷。

遠くで鳴っているうちに避難小屋まで逃げ込もうと必死になって歩こうとしましたが・・・疲れて足が動きません。

山歩き歴40年になりますが・・・あんなにバテた事はありません。

ほうほうの体で逃げ込んだ赤石避難小屋でしたが持ち込んだビール、日本酒は喉を通らず・・・激しさを増す雨の音に翌朝早々の撤退を決め、少しでも身軽にしようとの思いで、大量の酒類は全て小屋に放棄。

土砂降りの雨の中を一目散にさわら島目指して駆け下りる。

途中、赤石小屋にて20分の休憩を・・・・後になってこの休憩を10分にしておけばと後悔する事になろうとは・・・・

9時40分にさわら島着。

東海パルプのリムジンバスが出たのは10分前の事でしたが、次のバスが11時に出るのでビールを飲みながらそれを待ちました。

所が・・・・待てど暮らせどリムジンは来ませんでした。

様子を見に行った人の話では道路が何カ所も崩落していてバスが通るのはとても無理だと・・・ここでようやく深刻な事態に陥っているとの認識が・・・でもじたばたしたって始まらないとビール&酒。

O氏と「こんな事になるのだったら避難小屋に放棄して来た酒を持って来るんだったなぁ」と悔しがる。

その日は結局一日中飲んで過ごしましたが雨の勢いは一向に衰える気配がなく、リムジンの運行は無理と判断した人達が自力で下山を始めましたが賢パパ達はもう少し様子を見る事にしてさわら島に宿泊。

そして目覚めると雨は上がっていましたが大井川の水位はとてつもない所まで上昇していて、降った雨のすごさを物語っていました。

これを見て楽天家の賢パパもリムジンの運行はないと判断して自力下山を開始。

初めは崩落箇所の数を数えながら歩いていましたがあまりの多さにとうとう数え切れなくなって途中でやめました。


更に衝撃的だったのが


あの立派なコンクリート造りの畑薙橋が跡形もなく流されていました。

どうして良いかわからず踊っている若者達。


賢パパ達もどうして良いかわからず途方に暮れました。

その時、あるパーティが大井川の右岸にトラバースルートがあるはずだからそれを使って大吊り橋まで行けるだろうと言います。

で、そのルートに取り付くようなので賢パパ達も頼んで同行させてもらう事にしたんです。

何とか大吊り橋までたどり着き、そこから畑薙ダムの駐車場まで行く事にしていた我々に、途中でビバークすると言うそのパーティのリーダーが手渡したのがこの手作りの登山ノートだったのです。

そこにはパーティのメンバーの電話番号が書いてあり、リーダーのお宅に電話して伝言を伝えてくれるよう頼まれました。

これがその時依頼された伝言です。


それから3日掛かりで何とか無事に静岡に戻れたんですが・・・一番ガックリ来たのが・・・賢パパ達が必死で歩いて自力下山を果たしたちょうどその頃、「災害救助法」の発令によって自衛隊の救助ヘリが出動し、さわら島に取り残されていた登山者を静岡市の安倍川に造られた臨時ヘリポートに下ろしたのです。

賢パパ達もあのままあそこにとどまっていればあんな苦労をしなくてもすんだのですよねぇ。

でも、あんな体験は頼んだってなかなか出来るものではありませんよ。

今となってはとても懐かしい想い出となっています。

そうそう、その時に伝言を依頼された方からは後日、栃木名産の大きな梨が送られて来て会社の同僚と美味しくいただきました。

  


Posted by 賢パパ at 03:47Comments(6)山の想い出

2010年09月25日

山の想い出(竜爪山)

賢パパが一番多く登っているのは富士山だと思って回数を数えてみると今年の3回を加えてちょうど20回登っていました。

それでは次に回数が多いのはどの山でしょう?

浜石岳か竜爪山かどちらかなのですが・・・・・難しいところです。

過去の記録を紐解いてみると浜石岳が12回で竜爪山は・・・・おぉ~全く同数の12回でした。

これらの山はどちらも家から近くてアクセスが楽と言う共通点があります。

特に竜爪山は賢パパの家からずーっと歩いても登る事が出来ますからねぇ。

そして頂上までの登山ルートが多いのもこの山の特徴です。

一番簡単に登る事が出来るのが標高700mぐらいの所にある穂積神社まで車か原付を使って頂上までの標高差300mほどを自分の足で登るルートです。


賢パパ、昔は楽をして登る主義だったのかどうか定かではありませんがこのルートで良く登ったものです。

所が「ヤマレコ」や山の「ブログ」などで色々な情報を得る事が出来、他にもたくさんのルートがある事を知ります。

すると、新しいルートでも登ってみたくなるのが人情というものです。

そんな事をしているうちに・・・気がつけば色々なルートで登っていましたねぇ。

何しろ賢パパが登った事のあるルートだけで7つもあるのですから・・・。

スタート地点とゴール地点をどこに設定するかで同じ頂上に登って下りるのに最短が2Kmとちょっとで最長では22Kmも歩いた事があります。

その時の体調と気分で出発点とゴール地点を決めてスタートし、気分が乗らなかったり体調が良くなかったりしたら途中でリタイアするも良し、逆にもっと歩きたくなった時は自宅まで歩き通すも良しと何でも来いの自由度です。

最近登った時のものだけですがいくつか紹介させて頂く事にします。

去年の12月に歩いた時はこんな方と遭遇


同じ時の頂上からの富士山


今年の1月に登った時はこんなポーズや


こんなポーズも


更にその次、4月に登った時は新ルートで・・・・これを直登


いきなり頂上に出ました


その時のポーズは

定番のこれでした。

そして一番新しい


賢パパ、歳をとっても色んなルートを選んで・・・・この山とは長い付き合いが出来るような気がしてなりません。

でも・・・・80歳ぐらいになって、シェ~なんてやってたら笑われちゃいますかねぇ?




  


Posted by 賢パパ at 03:06Comments(6)山の想い出

2010年08月26日

山の想い出(浜石岳)後編

いやぁ、昨日は久しぶりのはなの舞飲み会で盛り上がって、すっかり寝坊してしまいました。

お陰で更新が遅くなってしまいました。

さて、「浜石岳」なんて静岡県内に住んでいる方でもごく一部しか知らないような超マイナーな山の話題で申し訳ありませんが前編で半分くらいしか紹介出来ませんでしたので後編で残りを紹介させて頂きます。

さっと流しますので読まれる方もさっと読み流していただいて結構です。

賢パパにつきあって(と言うよりは賢パパの方が賢ママにつきあっているんですが)色々と山歩きをしている賢ママですが意外にも浜石岳には一度しか登った事がありません。

これは標高が低く知名度も低い割りに長い距離を歩かされるため賢ママはあまり気が進まないのだと思いますが、去年の6月に一度だけ登ったことがありました。

賢ママの希望と言うよりは賢を連れて気軽に行ける山と言うことで白羽の矢が立ったのかも知れません。

それでもとにかく登ったのです。

賢パパがいつも歩く興津あるいは由比の駅からではなく林道にある駐車場から頂上まで往復1時間余りのショートコースです。

頂上での賢と賢ママのツーショット。


おやつまでもらって


去年はこの後8,9,10月と連続で登りました。

真夏にはこんな花も


今年は3,5,7月に3回。

3月には初めて途中にある「立花池」に立ち寄ってみました。


この時は下山地点が農道工事中で迂回路を間違えてしまい、ひどい目に遭いました。

5月の時は初めて薩埵峠からのピストンでした。


こんなポーズにチャレンジしましたっけねぇ。

そして・・・・6月に膝の靱帯を傷めた賢パパがまともに歩けるようになって最初に訪れたのもここでした。


これが通算13回目の頂上でした。

浜石岳は富士山の次に回数の多い山になっています。

これからも色々なバリエーションで末永くつきあって行きたい山となりました。  


Posted by 賢パパ at 05:17Comments(14)山の想い出

2010年08月25日

山の想い出(浜石岳)前編

昨日の朝は最悪でした。

昨日に限らず最近、朝はPCの調子が悪いのか動きがめちゃくちゃ遅いんですが昨日は特にひどかった。

1時間半の間に読むことの出来たブログがたったの2本。

入るにはすんなり入れるんですが、入った後の動きが遅い・・・いや、遅いなんてものじゃなくて動かないんです。

で、一度ウインドウを閉じようとすると・・・「このプログラムは応答していません。今すぐ終了しますか?」と訊いて来るから「終了」しようとしても・・・・ウインドウが閉じるまで5分から10分。

こんな事の繰り返しでほとほと疲れ果ててしまった賢パパなのです。

夕方帰宅してからの動きはさくさくでしたから・・・朝だけどうにかなってしまっているんでしょうかねぇ。

今朝も動きは悪いですが、昨日ほどではありません。

この記事は昨日の夜に下書きしておいたものなのでどうにか投稿出来そうです。

さて、賢パパが初めて本格的な山歩きをしたのは学生時代に友達に連れて行ってもらった「朝日連峰縦走」で学生時代にはこの後もう一回だけ「蔵王連峰」の縦走をやっただけで大学を卒業して横浜→静岡と移り住むことになります。

横浜時代は一度も山に行くことなく2年間を過ごしましたが、静岡に転勤になると環境が大きく変わりました。

近場にも良い山があるし、ちょっと足を延ばせば南アルプスが手の届く所にあります。

それに、何と言っても同じ会社の身近なところに山歩きをする人が大勢いたのです。

その人達に連れられて近場は勿論、南アや八ヶ岳にも登ったりしていましたが1982年の暮れから正月にかけての南ア茶臼岳越年登山を最後に賢パパの山歩きはぷっつりと途絶えることになります。

長男が生まれたのが1984年のことですから、結婚を機に足を洗ったのでしょうかねぇ。

その後子育てと通勤に大半の時間を費やす生活が続き、山歩きを再開したのは実に19年ぶりの事でした。

2001年の4月にJRの興津駅から薩埵峠を経て由比駅までのコースを歩く「JRさわやかウォーキング」大会があったのです。

その頃何もスポーツをやっていなかった賢パパは日頃の運動不足解消を目的にそのコースを歩いてみようとふらっと出掛けて行ったのでした。

興津駅から薩埵峠まで歩いた所で「せっかくここまで登ったのに、このまま由比まで下ってしまうのはもったいない」と考えて一人ウォーキングのコースを外れて浜石岳を目指したのです。

その時はコースタイムがどのくらいなのかも、水場がどこにあるのかも知らないで身体一つでどんどん歩いて行ってしまいましたから、今になって考えればずいぶん無茶なことをしたものです。

結局、途中で水を飲むことが出来ず、ほうほうの体で由比駅にたどり着いて売店で買った缶ビールにありついた時は本当にほっとしたものでした。

これで賢パパの山歩きが復活したのかと言うとそんなことはありませんでした。

途中で単発的に富士山や丹沢の大山に登ったことはありましたが年に一度か二度の事で、続けて山に行くようになったのは確か2005年ぐらいになってからのことだと思います。

で、浜石岳にはその後何度も登ることになるのですが、2回目に登ったのが2007年の4月ですから一回目の時から実に6年も経った後の事でした。

この時は一回目とは逆ルートで由比駅をスタートして興津駅まで歩きましたが頂上のミヤマツツジがきれいでした。


その後に登ったのが1年ちょっと後の翌年7月。

この時は勢いで自宅まで歩いてしまい、25Km以上のロングハイクとなりましたねぇ。

これをやってからはちょくちょく出掛けて行くようになり、4ヶ月後には初めての時と同じ興津からのルート。

前回余裕がなくて気がつかなかったこんな景色に感動しました。


2009年は6回登っていますから2ヶ月に1回のペースです。

3月には蒲原駅からのルートを歩きましたが、下調べが不十分だったためこんな所から頂上を望むことに


稜線を歩いて行けるものだとばっかり思っていたら、途中に川があるので一旦そこまで下らなければいけなかったのです。

下りきった後の登り返しはきつかった!

そうそう、この山って頂上直下まで車が入れるんですよねぇ。

09年5月には頂上まで歩いて2分の所まで原付で行きましたっけね。


これが6回目の浜石岳でした。

続きは又の機会に。

PC今朝も最悪の状態です。

昨夜のうちに下書きしておいたこの記事を投稿してから一部手直しを加えて、コメントをいただいたので返事を書きましたが、それだけでたっぷり1時間も掛かってしまいました。

昼間とか夜は普通にさくさく動くんですがねぇ。

このままの状況が続くようだと朝の活動は出来なくなってしまいますわ。



  


Posted by 賢パパ at 03:21Comments(4)山の想い出

2010年05月04日

賢パパのゴールデンウィーク(3日目)

1日から5日までの5日間の連休の初日は賢ママとのハイキング&飲み会で楽しく過ごし、2日目は久しぶりで帰省した娘と賢ママを連れて母親の所に一足早い母の日プレゼントを届けて来て、夜は贅沢に寿司屋で飲み会。

とても楽しい二日間を過ごした賢パパは翌日の山歩きのコースをどこにしようか考えながら眠りに就いたのでした。

この時点では、まさか翌朝にとんでもない事態に遭遇するとは夢にも思ってはいません。

で、連休3日目の昨日は予定通り、山歩きに出掛けるつもりでいつも通りに賢の散歩を済ませて来て・・・・いつものように朝刊を持って2階のトイレに座ります。

そしていつものように社会面から開きます。

いつもと違ったのはここからです。

いきなり目に飛び込んで来たのが「渓流釣りで事故死」の記事。

そう言えば前日のニュースでちらっと聞いたけど名前までは聞かなかったのでゴールデンウィークに事故で亡くなるとはついていないなぁなどと他人事のように思っていたのです。

ところが・・・・詳しい内容を読んで行くと・・・・愕然です。

まさか、・・・・・賢パパの会社の大先輩で、山仲間であり、釣り仲間、飲み会仲間のあの方が・・・・・

何かの間違いではないかと、取るものも取りあえずその方のお宅に駆けつけてみると、早朝でまだ寝静まっていましたが近くには見慣れない県外ナンバーの車が停まっています。

それを見た賢パパは悔しくても現実として受け入れざるを得ない事を思い知らされたのでした。

寝ているのを起こすのも悪いと思って一旦自宅に戻って何人かの知り合いに電話をしてみると、皆さん一様に驚きを隠せないようではありますがやはり厳しい現実を事実として受け止めておられました。

それから賢パパはゴールデンウィークの今後の予定を全てキャンセルして喪に服す事に決めました。

思い起こせば賢パパがこうして山歩きをしているのもこの方の影響が小さくありません。

初めて同行させて頂いた仙丈、甲斐駒では悪天候で仙丈のみ登って甲斐駒は途中敗退。


次の鳳凰山縦走の時は甲府駅のタクシーの通路に車を駐車してしまい、タクシードライバーから大目玉。


山伏には雪洞訓練の目的で登りましたが雪が少なくて小屋泊まり


写真はありませんが越年登山の茶臼、上河内岳では雷鳥に追いかけられた事も


去年の忘年会のこの写真が最後となってしまいました。


あなたの事はいつまでも忘れません。

安らかにおやすみ下さい。
  


Posted by 賢パパ at 04:07Comments(2)山の想い出

2010年03月05日

賢ママの山歩き(その3)

昨日ははなの舞飲み会の予定が入っていたのですが・・・・

しかも外人さんが参加するとの事だったので・・・ものすごく楽しみにしていた賢パパでしたが・・・・

寒い所で長い間仕事をしていたら血圧が上がったようでひどい頭痛に悩まされて・・・・飲み会をキャンセルしてしまいました。(涙)

さて本題です。

賢ママの山歩きも今日で3回目となりました。

今回は2008年の山歩きの紹介です。

前年は山歩きの他にも櫛形山と丹沢山で山友達の飲み会がありまして・・・

賢ママは山歩きよりもそちらの方に惹かれたようで、すっかり山仲間の一員としてもう何年も前から登っていたような顔でみんなにとけ込んで行きました。

で、この年は雪の上を歩いてみたいなどと言い出しまして・・・3月に竜ヶ岳でアイゼン(と言っても軽アイゼンですが)デビュー


3月にもう一つ沼津アルプスの一部の区間を歩いてトレーニングをして

4月には四国まで遠征しての飲み会でした。

せっかく四国まで行ったのだからと言う事で・・・剣山


5月のゴールデンウィークは地元の長者ヶ岳と天子ヶ岳

そして7月には賢パパがどうしても登らせてあげたいと思っていた甲斐駒に日帰り登山


8月には大菩薩


9月には2度目の富士山ペア登山


12月には賢も一緒にパノラマ台へ


そしてこの年も登り納めは丹沢忘年会


2008年の賢ママの山行回数は10回足らずでしたが賢ママには賢ママなりの楽しみ方があるようで・・・・

これでも十分満足出来たのだそうです。

この後2009年の分もあるのですが一旦ここで終わりにして次の機会に紹介させていただく事にします。

  


Posted by 賢パパ at 04:01Comments(2)山の想い出

2010年03月04日

賢ママの山歩き(その2)

2005年の三原山ハイキングからちょっとずつ山歩きをするようになった賢ママですが2005年には三原山を含めても3回、翌2006年にはたったの4回しか賢パパの山歩きに付き合ってくれませんでした。

もう少し山歩きに出掛ける頻度が増えたのは2007年からの事になりますかねぇ。

そうは言っても超寒がりの賢ママですから2007年の初山行は5月のゴールデンウィークになってからの事でした。

5月の愛鷹山越前岳


6月には蛾ヶ岳


もう一つ6月に金峰山


7月は賢も一緒に足和田山


8月は地元の山伏と真冨士山


9月には帰省したついでに那須岳に




10月には山梨の黒岳と櫛形山、裸山


これが記念すべき「みんなの山行記録飲み会」の第一回目でしたねぇ。

11月は賢を連れて西沢渓谷

そして12月の登り納めは今では恒例となった丹沢忘年会の記念すべき第一回目でした。


この年から山登り以外に飲み会の楽しみが加わって賢ママの山への興味は強くなって行くのでした。
  


Posted by 賢パパ at 04:02Comments(0)山の想い出

2010年03月03日

賢ママとの山歩き(その1)

賢パパが久しく遠ざかっていた山歩きを再開したのは2004年の9月に会社の仲間達と「中年登山隊」を結成してチャレンジした2度目の富士登山でさんざんな目に遭って帰って来た後の事でした。

せっかく山用の靴を買ったので使わないのはもったいないという気持ちがあったのかは今となっては知るよしもありませんが、富士山で痛めつけられた翌週にはもう一人で計画を立てて蓼科山に登り、その後1ヶ月ぐらいの間に北岳と甲斐駒にどちらも日帰りで登って来ました。

今でこそ賢ママも時々は一緒に山歩きをしますがその頃の山行きは全て賢パパ単独か歩きやすい所は賢を伴ってのものでした。

それでは一体いつ頃から賢ママの山歩きが始まったのか調べてみました。

すると2005年の8月に三原山に行ったという記録がありました。

伊豆大島に日帰りで遊びに行った時に三原山のあたりを歩いた記憶が残っています。


あの時は帰りのバスの時間の関係で頂上までは行けませんでした。

あれで賢ママは歩く事が面白いと思うようになったのかその翌月に富士山に登りました。


この時は素晴らしい晴天に恵まれて頂上からの景色を堪能して更に体力的にも自信を持った賢ママが「私にも山歩きが出来そうじゃん!」と言い出したので帰りにそのままスポーツ用品店に直行し、賢ママ用の靴を買って来たのでした。

その年はその後11月の蓼科山に登っただけで


翌年の2006年も賢ママが登ったのは5月の茅が岳と




9月から11月に月一で富士山


みずがき山


日向山


と4座だけでしたが2007年になると少しずつ賢パパの山歩きに同行する事が多くなります。

以下その2に続きます。
  


Posted by 賢パパ at 04:03Comments(4)山の想い出

2010年01月24日

山の想い出(竜ヶ岳)

竜ヶ岳は道の駅朝霧高原から良く見える中腹以上が一面の笹原に覆われた穏やかな山です。

賢パパは家族で富士五湖方面にドライブに行った時などこの山を眺めては妙な親近感を覚えたものでした。

当時はまだ山歩きなどしなかったのでその名前も知りませんでしたが朝霧高原に「毛無山」と言う名前の山がある事は知っていたのでその山容からてっきりそれが「毛無山」に違いないと思いこんでいました。

そして後に山歩きをするようになった時真っ先に登ろうと思ったのが「毛無山」でネットでルートを調べて出掛けて行きました。

所が登山口に着いてみるとどうやら「毛無山」は賢パパの目指した山ではないみたいです。

それでも仕方がないのでその時は毛無山に登って来て、後日富士宮市役所の観光課に電話をして訊いてみました。

そして初めて賢パパが目指した山は毛無山ではなくて「竜ヶ岳」だった事を知りました。

早速ネットで情報を集めて登ったのが2005年の3月の事でこれが賢パパの竜ヶ岳初登山でした。


早朝の誰もいない山頂から間近に富士山を堪能してすっかりこの山のとりこになりました。

それ以来何度もこの山を訪れていますが何度登っても飽きない山の一つとして賢パパのお気に入りになっています。

これは賢の本格登山初体験。


賢ママも山歩きを始めてすぐに連れて行きました。


賢ママもすっかりこの山が気に入ったようで珍しくこの後も2回登っています。

これが賢ママのアイゼン初体験の時。


そしてこれは麓にある公園の芝桜が見頃の時期。


この他にダイヤモンド富士を見に3回。






この他にも何回か登っていますが本当に何度登っても良い山です。

やっぱり、木が生えていない所に親近感を覚えるからでしょうかねぇ。  


Posted by 賢パパ at 03:45Comments(4)山の想い出

2009年10月25日

山の想い出(2004年は山歩き復活の年)

1982年の後半に本格的に山歩きを始めようと思い、「連れられ山行」ではありましたが赤石岳、八ヶ岳、鳳凰山、茶臼~上河内岳と全て泊まりがけでの山行きを行なった賢パパでしたが「さて、これから・・・」と言う時に結婚、子育てという人生の一大イベントがありましてしばらく山からは遠ざかる事になりました。

そして子供に手が掛からなくなった2001年にウォーキングの延長から登った浜石岳で山歩きの楽しさを思い出し、再び山への思いを強くしたのでしたがその頃はまだ他にもする事がたくさんあったので年に数回程度のハイキングをするくらいでした。

その後2003年に、生まれて初めて富士山に登り、翌年は会社の仲間を誘って再び富士山を目指しましたが悪天候のため、6人中2名しか頂上に立つことが出来ず、そのリベンジと言うわけでもありませんがその年は9月と10月だけで蓼科山、北岳、甲斐駒が岳に単独での日帰り登山を行ないました。

そして、2004年の登り納めに賢パパが選んだのは「大菩薩嶺」でした。

当時は日帰り最優先でガイドブックなどを参考にして、登る山を選んでいましたからそんなにたくさん候補となる山があったわけではなくてそこそこの高さがあり、朝早く出発すれば楽々日帰りが出来てしかも「日本百名山」に入っていると言うので安易に選んだものと想像できます。

11月21日の早朝3時過ぎに自宅を出発してまずは朝霧高原を目指します。

朝霧のコンビニで食料を買ってから精進湖道路を経由して大菩薩峠の駐車場に着いたのがまだ夜も明けやらぬ5時半過ぎ。

6時に歩き始めて45分で大菩薩峠着。

道路の水溜りには薄氷が張っていましたが歩いていると暑くなって来たのでトレーナーを脱いで半袖Tシャツ一枚になりました。

大菩薩峠に着いたのはまだ7時前でしたが観光客らしい人が何人かいて、半袖姿に驚きの声を上げるのが聞こえた事を今でもはっきり憶えています。

親不知の頭からの富士山。


夜明けを迎えた山々。


大菩薩嶺の頂上は見晴らしが悪く、山頂標の写真を一枚だけ撮るとすぐにUターンして雷岩まで戻りました。


雷岩からは富士山や南アルプスが良く見えていたのでここで一休みして朝食にしました。




まだ7時半前ぐらいの早い時間だったので他には人がおらず、静かに山々を眺めることが出来ました。

下りは唐松尾根を使いましたがあっと言う間に福ちゃん荘を通過して駐車場に戻ったのが8時半前で、そのまま着替えて帰路に就くと大菩薩の湯はまだまだ営業開始時刻にはほど遠く1時間以上も待つのも面倒だったのでまっすぐ帰宅してしまいました。

帰りの道路でちょっとした渋滞に巻き込まれたものの自宅には11時半に着いてしまい用意して行った昼食は自宅でシュワ~を飲みながらゆっくりいただくことが出来ました。


せっかく往復4時間以上もかけて出かけて行ったのに歩いた時間はたったの2時間。

ろくな下調べもしないで出かけてちょっともったいない事をしたなぁと後悔させられた山行でした。

  


Posted by 賢パパ at 03:43Comments(5)山の想い出

2009年09月15日

山の想い出(リベンジ甲斐駒)

2004年の9月に二度目の富士山に登った賢パパですが悪天候にたたられて楽しい登山とは言えず、ただ頂上に立っただけという味気ないものでした。

ただ、この時を境に何となく山への想いが強くなり、その翌週には自分ひとりで計画して蓼科山に登り更にその2週間後には北岳への日帰り登山を行ってすっかり山にはまって行くのでした。

北岳に日帰り登山が出来た事は体力に対する大きな自信となりまして年内にもう一つメジャーな山に登ってみようとの思いを強くしました。

北岳に登った時点で次に登るのはこの山と決めていた山がありました。

もうずいぶん昔に登ろうとして途中まで行ったのですがあいにくの雪のため登頂を断念して撤退して来たあこがれの山「甲斐駒ヶ岳」でした。

長い間「いつかは甲斐駒」と夢のように思っていたのが北岳からその姿を見た時に一気に現実味を帯びたのでした。

当時はまだマイカー規制がありませんでしたから奈良田経由で広河原まで車で入る事が出来ました。

本当は10月23日の土曜日に登る予定でしたが台風22号の被害により通行止めとなっていた南アルプス公園線の開通が24日の午前4時と決まったため予定を変更して24日の3時前に自宅を出発して奈良田のゲートに向かいました。

北沢峠行きのバスが広河原を6時50分に出発ですから逆算すると3時半過ぎに家を出れば十分に間に合うのですが前日に大きな地震があったのでその影響を受けて道路が通行止めになっていたりすると計画がアウトになってしまうため万一の場合は下部から本栖湖に抜けて富士山に登る事にして早めに家を出たのです。

順調に走って5時前には広河原に着いてしまいましたが6時50分のバスの時間にはだいぶ間があるのでしばらく辺りを散策しました。

天気の良い時は朝日に輝く北岳の眺めが素晴らしいですねぇ。


北沢峠行きバスでは補助いすを使っている人は二人しかおらず空いていました。

7時15分に北沢峠着で20分から登山を開始です。今回は双児山ルートを登る事にしました。

9時ちょっと前に駒津峰に到着ですが山頂まで2時間ちょっとでは無理そうです。


9時20分六方石通過、直登ルートを進みます。大きな岩が連続するルートです。

9時50分に頂上着でした。

2時間半かかりました。

六方石からはかなり上のほうに見えていた頂上ですが意外とあっけなく到着です。

頂上は無風快晴の好コンディションで多くの登山者たちが一息ついていました。

逆算してみると1時間20分で北沢峠まで下れば11時15分のバスに乗れますが焦って事故でも起こしてしまっては折角の山行が台無しになってしまうので頂上でゆっくりして次のバスに乗る事にしました。

地蔵岳の上に雲海から頭を出した富士山が見えています。


北岳は逆光気味でしたが一応シャッターを切ります。

缶チューハイをゆっくり飲んで甲府盆地から八ヶ岳にかけて広がる大パノラマを楽しむことが出来ました。

10時40分に頂上を後にしてあとはゆっくりと下ります。

下りは直登ルートではなくトラバースルートを使いました。

11時20分に駒津峰に到着、先ほどまであんなに良い天気だったのにガスが湧き始めていました。

11時50分に双児山を通過して12時40分に北沢峠着。

13時15分のバスで広河原に戻りました。

15時のゲート開放を待って広河原を出発して一路自宅を目指します。

17時40分に自宅到着。

広河原周辺の紅葉が素晴らしい色合いでした。


特に黄色と赤の中間の色合いが美しかったと記録にあります。

念願の甲斐駒に登って大満足の賢パパでしたがこの時はまだ賢ママは山登りを始めてはいませんでしたからこの後賢ママともう一度登る事になるとは夢にも思ってはいませんでした。
  


Posted by 賢パパ at 04:01Comments(4)山の想い出

2009年09月02日

山の想い出(一気に北岳へ)

2004年の9月に二度目の富士山に登った賢パパですが悪天候にたたられて楽しい登山とは言えず、ただ頂上に立っただけという味気ないものでした。

ただ、この時を境に何となく山への想いが強くなり、その翌週には自分ひとりで計画して蓼科山に登り好天の山頂から周りの山々の眺望を思う存分堪能して来るとその想いはますます強くなる一方で早くも次の目的地を探し始めたのでした。

ところがその当時の賢パパの知識では日帰りで登れる大前提を満たし、なおかつそれなりに達成感が得られる山というのはなかなか思い浮かびませんでした。

そこで会社の後輩で前に一緒に八ヶ岳に連れて行ってもらった事のある山男に相談すると「北岳なら日帰り出来るのでは・・・?」と言います。

まさかとは思いましたが一応調べてみるとコースタイムは10時間ほどです。

それまで山行の経験はそれほど多くありませんでしたがどこへ行っても大体コースタイムよりはかなり早く歩く事が出来ましたから、8時間ぐらいあれば行って来れるかなと思い、具体的な計画を立ててみることにしました。

当時は奈良田経由で広河原までマイカー乗り入れが可能だったので奈良田のゲートの開門時間に合わせてゲートを通れば5時前には広河原に到着出来るはずでした。

5時過ぎから歩き始めれば例えコースタイム通りに10時間かかってしまったとしても15時には広河原に戻れるはずなので本気で行ってみようと思うようになりました。

善は急げとばかり蓼科山に登って来てから3週間後、10月2日の土曜日に行く事に決めました。

早朝(と言うよりは夜中ですか?)の2時半に予定より30分遅れて出発しましたが夜中の道路は空いていて4時過ぎにはゲートを通過する事が出来、途中で工事のため20分ほど待たされたものの5時過ぎにはほぼ予定通り広河原駐車場に着くことが出来ました。

まだ薄暗い中を5時15分には歩き始め大樺沢コースをひたすら登りました。

1時間半ほどで「白根御池-肩の小屋分岐」を通過したつもりが帰宅してからガイドブックで調べなおしてみるとどうやらそこは大樺沢二俣だったようです。

コースタイム2時間半から2時間50分のところを1時間半ではいくら何でも早すぎると思いもっと上の上部二俣を二俣だと思って目標にしていたのでした。

だから上部二俣に7時10分に着いた時は二俣に着いたと思っていたのでコースタイムより少し早かったぐらいでこれは思ったより時間がかかるかもと覚悟をしたものでした。


8時過ぎに八本歯のコルを通過、はしご場の連続で後から後から登って来る人の姿を見て帰りはこのルートでないところを下ろうと思いました。


このあたりまでは順調でしたが吊尾根分岐まで来るともうバテバテで頻繁に休憩を取りながらやっとの事で頂上にたどり着いたのが9時20分の事でしたから登り始めて4時間後でした。

頂上は無風快晴の絶好のコンディションに恵まれて缶チューハイを飲みながら360度のパノラマを堪能しました。








下りは白根御池小屋に向けて10時に下山を開始すると途中休憩なしで一気に広河原まで下りました。

12時50分に駐車場着。

ゲートが開く15時まではアルペンプラザでテレビを観たりして時間を潰しましたがちょうどメジャーリーグベースボールの生中継を放送していてイチローがこの試合で3本のヒットを打ち、一気に記録を更新したと興奮した声でアナウンサーが話していましたねぇ。

後は15時にゲートが開くのを待ってひたすら家路を急ぎました。

道路は意外に空いていて17時半には無事に帰宅。

これに味を占めた賢パパ、早くも次の目標に狙いを定めていたのでした。
  


Posted by 賢パパ at 03:27Comments(8)山の想い出

2009年08月25日

山の想い出(山への想い再び)

1982年の後半に赤石岳、八ヶ岳、鳳凰山、南アルプス南部越年登山と充実した山行を重ねて「さぁこれから本格的に山をやるぞ!」と気合いが入っていたのに、結婚、子育てという家庭的な事情により、ぷっつりと山との縁が切れてしまい、この後に登ったのは実に19年ぶりの事でした。

この年、2001年には2回の日帰り山行をしただけで翌年はどこの山にも登っていません。

これは恐らくその当時腰を痛めていた事があり、治ったと思ったら今度は両膝に痛みが出て歩くのもやっとという状態でとても山など登れるような状況にはなかったのだと思います。

そのひざ痛ですが2軒の病院で診てもらってもさっぱり良くならなくて半ばあきらめ掛けていたのがある日突然けろっと治ってしまったのですから不思議なものです。

そして、それ以降は腰も膝も調子が悪くなった事など一度もありません。

さて、本題に戻りますがひざ痛が治った賢パパは2003年の9月に初めて富士山に日帰り登山をしました。

そして帰って来てから周りにいる人達に富士登山が思ったより簡単に出来る事を話したので翌年は希望者が集まって「中年登山隊」を結成してチャレンジをしました。

この時は悪天候にたたられてさんざんな目に遭いましたがこれをきっかけに賢パパの山への想いが再び目覚めたような気がします。

富士山でひどい目にあって帰るとすぐに次に登る山の物色に入りました。

腰やひざの具合が悪くて山には行けませんでしたが山の写真集や登山のガイドブックのようなものは時々購入していましたからその中からめぼしい山に狙いを付ける事にしました。

そして、翌週登る事にしたのが「蓼科山」でした。

賢パパの山行の条件として「日帰り出来る事」が絶対でそれを満たしてなおかつ「ある程度の高さ」「登ったり、見たりして面白い」などの希望がありました。

蓼科山はこれらの条件を満たしてくれる山として真っ先に思い浮かんだ山でした。

早朝(と言うよりも深夜ですか)に自宅を出て一般道をひた走り、白樺湖には4時前くらいに着いたのですが7合目駐車場へのルートがわからず白樺湖周辺の道路を行ったり来たりして、やっとの事で登山口にたどり着いたのは5時過ぎになってからの事でした。

それでもピーカンの青空の中を順調に歩き、頂上では素晴らしい八ヶ岳連峰や噴煙を上げる浅間山、南アルプス、御嶽山から遠くには北アルプスの山々を一望する素晴らしい景色を堪能して来ました。








あまりにも時間が早すぎて帰りに汗を流そうと思っていた日帰り温泉が営業開始の時間になっていなくて、そのまままっすぐ帰ったらお昼過ぎには自宅に着いてしまってシャワーを浴びてシュワ~っとやった事を今でもはっきりと思い出します。

この蓼科山で見た八ヶ岳の素晴らしさに味を占めた賢パパはこれを機会に次第に山登りにはまって行く事になります。
  


Posted by 賢パパ at 03:26Comments(2)山の想い出

2009年08月06日

山の想い出(神奈川県 大山)

2001年の4月に約20年ぶりで山歩きをした賢パパはその年の7月にも2000m級の山に登りましたがこの後再び山からは遠ざかってしまって2002年は結局どこにも登ることなく終わり次の山歩きはその次の年、2003年の事になります。

理由は何かあったのでしょうが当時は横浜まで新幹線通勤をしていて長時間同じ姿勢で座っていたのが悪かったのかどうかは知りませんが腰痛に悩まされて一時はコルセットを着用していた事もありました。

その後腰痛は治まったものの今度は両膝痛で苦しみました。

歩くのもつらいぐらいの膝の痛みで病院を2軒掛け持ちで診てもらいましたが片方の先生は「あまり歩かない方が良い」と言い、もう片方の先生は「歩いた方が良い」と言うので一体どちらを信用したら良いものか困ってしまいました。

その時は意識して歩く事も歩かない事もせずに普通に過ごしていたらいつの間にか治ってしまったように記憶していますから一体何が原因だったのか今もってわかりません。

当時毎日乗っていた新幹線の窓から他の山とは区別されて見えていたのが大山でそのピラミダルな山容はとても魅力的でした。


朝夕の通勤時に大山を見ては「いつかは登ってみたいなぁ」と思い続けていた賢パパですが、ある時やっとその機会にめぐり合う事が出来ました。

それは2003年の6月7日の事でしたが雨のため一週間の延期の末に念願かなっての山行となったのです。

通勤定期を使って小田原まで新幹線で行き、小田急線に乗り換えて秦野駅で降りましたが、まず驚かされたのがバス停でバスを待つ人の多さでした。

「ヤビツ峠」行きのバスはとても1台には乗り切れず臨時便の3台目にやっと乗ることが出来ました。

30分ほどの乗車で「ヤビツ峠」に到着です。

ここで賢パパは初歩的なミスを犯します。

予備知識を持たない賢パパはヤビツ峠で降りた人が全員大山に登るものだと思っていたのです。

だから標識の確認などしないで道路を歩く人の後に続いてどんどん歩いて行きました。

最初は前を歩いている人がたくさんいたのですが空身の賢パパはどんどん追い越して行きましたからいつの間にか先頭に立ってしまってとうとう前には誰もいないと言う状態になってしまったのです。

それでも目指す山の方向と標識に注意して歩けば問題ないだろうとどんどんどんどん歩き続けます。

すると前方に何やら標識が見えて来ました。

やっと登りにかかるかなと思いながら標識を見ると「塔の岳」方面とあります。

そう言えば同じ日に会社の先輩たちが塔の岳に登ると話しているのを聞きましたがそれがここだったのかと思いながら見送って先を急ぎます。

すると今度はどんどん高度が下がり始めます。

さすがにおかしいと思い始めた賢パパは通り沿いにあったレストランで尋ねました。

するとやっぱり道を間違えているとの事。

元来た道を戻るのかとうんざりしながら話を聞けば峠までは戻らなくてもちょっと下ったところから別の登山道があると言うではありませんか。

地獄で仏と言うと大げさですがそのまま下って登山道を探しました。

相当見つかりにくいところにありましたが何とか見つけて取り付きます。

このルートはあまり使われてはいないようでヤビツ峠のあの混雑からはとても想像できないような静かな登山道で新しい踏み跡がなくて心細かったけどのんびり歩く事が出来ました。

登り始めて1時間ぐらい誰にも出会わずもしかしたらルートを間違えてるんじゃないのかと心配になりかけた所で初めて登山者に出会い、尋ねると頂上まではあと100mもないと言います。

それを聞いて元気を取り戻した賢パパはほどなく頂上に着きますが行ってみて驚きました。

ものすごい混雑と大きな売店で山と言うよりは観光地でした。

この時つくづく思いましたねぇ。

「あぁ、この山は登る山ではなく遠くから眺めて楽しむ山だなぁ」と。

それ以来大山には登った事がありません。

  


Posted by 賢パパ at 06:35Comments(2)山の想い出

2009年07月12日

山の想い出(19年ぶりの山歩き、浜石岳)

1982年の暮れから新年にかけての南アルプス茶臼岳への越年登山の後から2001年4月まで実に19年のブランクがあって
賢パパの山歩きが再開する事になります。

このブランクは結婚→子育てという家庭的な事情によるものでしたが当時は賢ママは山登りなど全くしませんでしたから仕方のない事です。

2001年というと今から8年前ですから下の娘が高校に入学したくらいでしょうか。

娘の高校の入学式も無事に終わって一息ついたのでしょうかねぇ、JR主催の「さわやかウォーク」の案内を電車の中吊り広告か何かで目にして興味を持ったのです。

コースは興津駅から薩埵峠を経由して由比駅まで歩くものでした。

その頃は薩埵峠なんてなじみがなかったし、興津から由比まで一駅なのは知っていましたがどのくらいの距離なのかも知らずに参加したのでした。

4月8日の暖かいと言うよりは暑いような日でしたが水も持たずに本当に身体一つで気軽に参加したものです。

コースには分岐の所に進行方向を示す矢印の書かれた看板が立てられていましたから初めての道でも迷う心配はありません。


順調に行程を消化して薩埵峠を越えた所で「浜石岳方面」の標識が目につきました。

せっかく峠に登ったのだからこのまま下ってしまうのはもったいないと言う気持ちが芽生えました。

そこで、ウォーキングのコースからは外れますが浜石岳を目指す事にしました。

標高差で500mぐらいのはずですから大したことはないと思って気楽に足を踏み入れたのが大間違いでした。

途中に水場はなく、出会う人も全くいません。






おまけに山頂からの下りでは時間短縮をしようと農道を外れて沢筋を下ったため途中で行き止まりとなりもう一度正規のルートへ登り返したのでとんでもない時間のロスに・・・

結局は初めから正規のルートを歩いた方が早かったのですが・・・・

そんなこんなで由比の駅に着いた時はもう死ぬかと思いましたよ。

それでも駅の売店で缶ビールを一本飲んで生き返った賢パパでした。

この時はほうほうの体で逃げ帰った賢パパですがこの山行は忘れていた楽しさを教えてくれた体験でこの後少しずつですが山歩きに復帰して行く賢パパなのです。

写真は後日同じルートを辿った時のものです。
  


Posted by 賢パパ at 03:25Comments(2)山の想い出

2009年06月26日

山の想い出(鳳凰山縦走)

1982年の記録を見ると山行は全部で4回ですが8月初め、10月半ば12月中旬、年末と後半に集中し、しかも全てが山中で何泊かしていて今やっているような「日帰り登山」は一度もありませんでした。

当時はまだ独り者で時間にもお金にも余裕があったんでしょうねぇ~。

8月の赤石岳でプチ遭難騒ぎを起こしたので次の10月の八ヶ岳にはこっそりと内緒で行きましたがこの鳳凰山の頃にはもうほとぼりも冷めていましたから割とおおっぴらに出掛けましたね。

後輩の車で静岡を未明に出て甲府駅まで行きました。

甲府駅に着いた時間は記憶にありませんが駅の駐車場に車を停めてタクシーをチャーターして芦安まで行きました。

ゲートは閉められていましたがタクシーがゲートの中まで入れたのかそれともゲートの前で下りたのかも記憶にありません。

記録によると「夜叉神峠登山口発 8時40分」とありますから登山口までタクシーが行ってくれたのでしょうかねぇ?

時期的にそれほど多くはないにしても雪はあったと思いますし、雪の登山道を歩いた記憶があるのですが写真を見ると雪はあまり写っていません。






写真をよく見るとアイゼンを装着しているように見えますから凍結している所があったのかも知れません。

薬師小屋に泊まりましたが小屋番さんはいなくて他の宿泊者もなかったので我々の貸し切りでした。

帰りは御座石鉱泉に下ってゆっくり風呂につかり、穴山の駅から電車で甲府に戻りました。

車を置いた所に行くとタクシーの運転手さん達が集まっていて我々の車がタクシーの出入り口に停められていたため邪魔になったのでみんなで動かしたと話していました。

これはまずいと思って平謝りに謝って早々に退散して来ました。

今はほとんど日帰り登山で山行をしていますがあの当時の事を思い出すたびに泊まりでのんびり山を歩くのも良いものだなぁとつくづく思う今日この頃です。
  


Posted by 賢パパ at 03:26Comments(4)山の想い出

2009年06月21日

山の想い出(こっそり出掛けた八ヶ岳)

1982年の10月に会社の後輩が八ヶ岳山行を計画していると言う話が伝わって来ました。

本来なら、一も二もなく参加したいと思った賢パパですがちょっと二の足を踏んでしまいました。

と言うのは、この年の8月に赤石岳であわや遭難という目に遭っていてそのほとぼりがまだ覚めていなかったからでした。

会社を3日も休んで周りの人達にはかなりの迷惑を掛けていたのでそれからまだ2ヶ月しか経っていないのではやはりいささか気が引けたのです。

でも・・・・山の誘惑には勝てず、その後輩と二人なら周りにも知られないだろうと思ってこっそりと出掛ける事にしたのです。

昔は体育の日が10月10日と決まっていましたからその前日の9日の朝に静岡を出て美濃戸口から行者小屋まで行き、翌日阿弥陀岳から赤岳、横岳、硫黄岳と縦走して夕方には静岡に帰って来る計画でした。

きちんとした記録が残っていないので記憶を頼りに書きますが行者小屋に泊まったのかテント泊だったのかがはっきりしません。

9日の夜に雪が降り翌日早朝の登りは雪を踏んで歩いた事を覚えています。






山歩きを終えて美濃戸口まで戻る時に登山道を歩いていると河原で地元の人がキノコ汁を作っていて「食べて行けよ」と声を掛けてくれてビールとキノコ汁を御馳走になったのですがそのキノコ汁がものすごく美味しかった事も忘れられない思い出です。

それと帰りの国道で追い越し禁止の所を走っていたら後ろから猛スピードで追い越して行った車があって後輩と二人で「あんな馬鹿野郎は捕まると良いんだけどなぁ」と話していたら長い直線道路の終わりの所にお巡りさんがいて見事に捕まえてくれた事。

こんな事ばかり覚えていて肝心の山の事はさっぱり記憶にないのです。

あぁ、そうそう、出掛ける前に先輩から「横岳の近くに一箇所危ない所があるから気をつけるように」と言われていたのでそればっかり気にして歩いたのですが結局最後までどこだかわからなかった事だけはよく覚えています。

この八ヶ岳山行を経験してますます山が好きになり、その後も誘われてではありますが色々な山に登る事になります。
  


Posted by 賢パパ at 06:18Comments(2)山の想い出

2009年06月13日

山の想い出(赤石岳遭難騒ぎ)

前のブログでもほんの少々紹介しましたが赤石岳登山ではちょっとした遭難騒ぎを起こしています。

1979年という記録が残っていますから賢パパが静岡に転勤してから5年後の事になりますがこの頃から少しずつ静岡市の郊外にある山などに登るようになりまして1981年には仙丈、甲斐駒にも出掛けて行きました。

その翌年の1982年に会社の同僚で渓流釣りと山の好きなO氏から赤石岳登山と聖沢での渓流釣りの企画が提案され一も二もなく賛成して7月31日の早朝、O氏の車で畑薙ダムを目指して静岡市を出発したのでした。

おりしも前日に「梅雨明け宣言」が出されたばかりで素晴らしい夏晴れの朝でした。

畑薙ダムからは東海パルプのリムジンバスに乗ってさわら島まで行き、8時半頃からこの日の宿泊地である赤石岳目指して登り始めました。

昼過ぎに赤石小屋に着いて昼食を済ませて再び歩き出す時には聖岳にうっすらとガスがかかっていましたがその後の天候の急変を知るよしもありませんから1日目の目的地である赤石避難小屋に向けて歩みを速めました。

所が、登るに連れてガスが濃くなり、そのうちに遠くでは雷の音も聞こえ始めました。

ほうほうの体で夕方の16時過ぎに避難小屋に着きましたが疲れと激しい雨音にすっかり気持ちは萎えてしまい、大量に持って行った酒類も缶ビール1本を呑むのがやっとで天候の悪化を予想するラジオを聴きながら明朝一番での下山を決めて早々に寝袋に潜り込みました。

翌朝は6時に赤石避難小屋を後にして一気にさわら島まで下りましたが途中の赤石小屋での休憩を20分取った事が後になって悔やまれたのでした。

と言うのはさわら島到着が9時40分でそのわずか10分前に9時半の定期リムジンが出た後だった事を知らされたからです。

次のリムジンは11時半に出る事になっていましたが待てども暮らせどもやって来ませんでした。

仕方がないのでさわら島で停滞してリムジンが動き出すのを待つ事にしましたが外は大雨で何もする事がなくてひたすら酒を飲んでいました。

前日の疲労のため荷物を少なくしようとして持って行った酒類は全部避難小屋において来てしまったのが悔やまれてなりませんでしたがまさに「後の祭り」でした。

一晩泊まってリムジンを待ちましたが林道の状況を見て来た人の話を聞くと復旧にはかなりの時間がかかりそうでリムジンの運行は望めないとの事でした。

それでは自力で下山するしかないと判断し、8月2日の11時にさわら島を後にして自力での下山を開始しました。

大井川は濁流と化し、畑薙橋は流失し、林道は至る所で崩壊していて道なき道をひたすら歩いてさんざん苦労して夜の8時に畑薙ダムサイトに到着してテントでビバーク。





昼間はやんでいた雨ですが夜中に再び降り出して慌ててバス停のベンチに避難したものです。

翌日は雨の中を歩いて井川まで下り、駅の緊急避難センターに行って無事下山した事を伝えてから民宿に移動しました。

この時初めて人心地つきました。

その晩は民宿に一泊して翌日に鉄道が一部区間のバス振り替え輸送を行い復旧した事でやっと静岡に帰り着きました。


独身寮に帰り着いてテレビのニュースを見るとちょうど「災害救助法」の発令により自衛隊のヘリが出動してさわら島からの登山客を安倍川河川敷に作られた臨時ヘリポートに運んで来た画像が放映されていました。

あのニュースを見た時は「えぇ~っ、俺たちが苦労してやっとたどり着いたと思ったらヘリで飛んで来たやつがいるじゃんっ!」って、がっくり来ましたが今になって思えばヘリで簡単に帰って来るよりも貴重な体験が出来て良かったと負け惜しみでなくそう思います。

帰って来た翌日から1週間ぐらいの出張があり、その後はそのままお盆休みに入ったので次に出社した頃にはすっかりほとぼりが冷めていたのがせめてもの救いでした。

この時一緒に山行したO氏はその後、山から遠ざかりますが賢パパは10月に次の山行で八ヶ岳に登る事になります。  


Posted by 賢パパ at 06:18Comments(2)山の想い出

2009年06月05日

山の想い出(山伏)

1981年に会社の大先輩の「退職記念山行」で仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳に登る事となったのをきっかけに山の道具を一通り揃えた賢パパでしたがまだまだ自らが計画を立ててどこかの山に出掛けようという気にはなりませんでした。

それは経験不足と登山口までの足の確保の問題が大きかったのだと思います。

それでも賢パパが山の道具を揃えた事を知った先輩達が山に行く時は賢パパにも誘いの声を掛けてくれるようになりました。

退職記念山行から帰って一週間空けた次の週には安倍川源流部、いわゆる「安倍奧」の最高峰である「山伏」への山行に誘われました。

特に用事もなかったので一も二もなくOKの返事をして4人パーティで出掛けました。

記録が残っていないので記憶に頼るしかありませんが恐らくはバスを使って登山口の近くまで行き、そこから山伏に登り、後は稜線を辿って大谷嶺、八紘嶺を経て梅ヶ島温泉に下ったものと思われます。



当時はこの写真にもあるように「山伏」を「山伏岳」と呼んでいたように記憶していますが地元の人は昔から岳を省略して「やんぶし」と呼んでいたとかで最近登った時の山頂標はこんな風になっていました。

岳を付ける事に反発する人の仕業だと思われます。

記録を見ると山伏にはこの後2007年に賢ママと一緒に登るまで登った事がないとされていますが12月に「雪洞訓練」を行うために登った記憶がありますから記録がないだけで確かにこの年の12月にもう一度登っているはずです。

ここに記載した写真を見ると11月にしては雪が多いような気もするのでこの写真は雪洞訓練に行った時のものかも知れません。
その時は訓練をするには雪がなくて小屋泊まりを余儀なくされた事を憶えています。

下山した梅ヶ島温泉は「静岡の奥座敷」と呼ばれて市民から親しまれていますが当時の梅ヶ島公衆浴場は温泉の旅館街から安倍川を隔てた反対側の岸にあって丸太組みの小屋の中に湯船があるだけの素朴なものでした。

男湯と女湯の仕切りも丸太組みの壁でしたから丸太の隙間から覗けてしまうのでした。

そんな事を知ってか知らずか若い女性は入っていなかったように記憶していますねぇ。

閑話休題。

そんなわけでこの年は11月から12月にかけてだけで仙丈、甲斐駒(テン泊)、山伏(日帰り縦走)山伏(小屋泊)とだんだん本格的な山行をするようになって来ました。

そしてこの本格化が翌年の忘れられない思い出の山行へとつながって行くのです。
  


Posted by 賢パパ at 03:16Comments(7)山の想い出

2009年06月01日

山の想い出(仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳)

賢パパの登山履歴は1969年に大学2年生の時、友達に連れて行ってもらった朝日連峰縦走に始まりましたがまだまだこの頃は自分から進んで山行を計画する事はなく次の山行も友達に連れて行ってもらったもので前回の朝日連峰からは2年も後の事でした。

その後就職して2年間を横浜で暮らしましたが知り合いで山登りをする人もなく賢パパも山とは無縁の毎日を過ごしていました。

それが1974年に静岡に転勤となり会社の独身寮で暮らしている所に後輩が入って来たりして何となく山の話をしたりしているうちに近場の山に興味を持つようになったのです。

それでも次に山に行ったのは1979年の事ですから前回の蔵王山から実に8年も後の事でした。

この年は後輩と二人で3回ほど静岡市近郊の山を歩きましたがその翌年はたったの1回しか登りませんでした。

今になって考えてみてもどういう理由だったのかははっきりしませんが当時は車を持っていなかったためバスや電車を利用するしかなくてそれが面倒で積極的に山登りをしなかったのだと思います。

それが、1981年の11月に会社を定年退職される方の記念山行が計画され、その山行に誘われたのをきっかけに山の道具を揃える気になりわざわざ東京まで出掛けて行き、大学のワンゲル部出身の友達に見立ててもらってテント以外の山道具一式を揃えたのでした。

「T氏退職記念山行」と名付けられた仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳登山は1981年の11月3日、4日の一泊二日の日程で行われました。

一日目に自家用車に乗り合いで広河原に入り、そこからバスで北沢峠まで上がり仙丈ヶ岳に登って来てから北沢峠でテント泊、翌日は仙水峠から甲斐駒ヶ岳に登ると言う計画でした。

初日の仙丈ヶ岳は良い天気に恵まれて頂上からの景色を堪能しました。

下山時にアイスバーンのトラバースがあって誰もアイゼンを持っていなかったので先輩がピッケルを使いステップを切ってくれましたが初めての体験でとても恐かった事を思い出します。

夜はテント場ですき焼きの大宴会をやって当時の山ではお決まりの歌など歌って楽しく過ごしました。


所が翌日は前日とはうって変わって悪天候で仙水峠に着く頃には雪になり冬の装備を持っていなかったため摩利支天を眺めただけで撤退して来ました。


この時の摩利支天の美しさをそれ以来忘れた事が無く、機会があれば絶対に甲斐駒に登ろうと心に誓った賢パパですが、その念願が叶うのはそれから23年後の2004年の事になります。
  


Posted by 賢パパ at 04:16Comments(2)山の想い出