2009年06月01日
山の想い出(仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳)
賢パパの登山履歴は1969年に大学2年生の時、友達に連れて行ってもらった朝日連峰縦走に始まりましたがまだまだこの頃は自分から進んで山行を計画する事はなく次の山行も友達に連れて行ってもらったもので前回の朝日連峰からは2年も後の事でした。
その後就職して2年間を横浜で暮らしましたが知り合いで山登りをする人もなく賢パパも山とは無縁の毎日を過ごしていました。
それが1974年に静岡に転勤となり会社の独身寮で暮らしている所に後輩が入って来たりして何となく山の話をしたりしているうちに近場の山に興味を持つようになったのです。
それでも次に山に行ったのは1979年の事ですから前回の蔵王山から実に8年も後の事でした。
この年は後輩と二人で3回ほど静岡市近郊の山を歩きましたがその翌年はたったの1回しか登りませんでした。
今になって考えてみてもどういう理由だったのかははっきりしませんが当時は車を持っていなかったためバスや電車を利用するしかなくてそれが面倒で積極的に山登りをしなかったのだと思います。
それが、1981年の11月に会社を定年退職される方の記念山行が計画され、その山行に誘われたのをきっかけに山の道具を揃える気になりわざわざ東京まで出掛けて行き、大学のワンゲル部出身の友達に見立ててもらってテント以外の山道具一式を揃えたのでした。
「T氏退職記念山行」と名付けられた仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳登山は1981年の11月3日、4日の一泊二日の日程で行われました。
一日目に自家用車に乗り合いで広河原に入り、そこからバスで北沢峠まで上がり仙丈ヶ岳に登って来てから北沢峠でテント泊、翌日は仙水峠から甲斐駒ヶ岳に登ると言う計画でした。
初日の仙丈ヶ岳は良い天気に恵まれて頂上からの景色を堪能しました。

下山時にアイスバーンのトラバースがあって誰もアイゼンを持っていなかったので先輩がピッケルを使いステップを切ってくれましたが初めての体験でとても恐かった事を思い出します。
夜はテント場ですき焼きの大宴会をやって当時の山ではお決まりの歌など歌って楽しく過ごしました。


所が翌日は前日とはうって変わって悪天候で仙水峠に着く頃には雪になり冬の装備を持っていなかったため摩利支天を眺めただけで撤退して来ました。


この時の摩利支天の美しさをそれ以来忘れた事が無く、機会があれば絶対に甲斐駒に登ろうと心に誓った賢パパですが、その念願が叶うのはそれから23年後の2004年の事になります。
その後就職して2年間を横浜で暮らしましたが知り合いで山登りをする人もなく賢パパも山とは無縁の毎日を過ごしていました。
それが1974年に静岡に転勤となり会社の独身寮で暮らしている所に後輩が入って来たりして何となく山の話をしたりしているうちに近場の山に興味を持つようになったのです。
それでも次に山に行ったのは1979年の事ですから前回の蔵王山から実に8年も後の事でした。
この年は後輩と二人で3回ほど静岡市近郊の山を歩きましたがその翌年はたったの1回しか登りませんでした。
今になって考えてみてもどういう理由だったのかははっきりしませんが当時は車を持っていなかったためバスや電車を利用するしかなくてそれが面倒で積極的に山登りをしなかったのだと思います。
それが、1981年の11月に会社を定年退職される方の記念山行が計画され、その山行に誘われたのをきっかけに山の道具を揃える気になりわざわざ東京まで出掛けて行き、大学のワンゲル部出身の友達に見立ててもらってテント以外の山道具一式を揃えたのでした。
「T氏退職記念山行」と名付けられた仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳登山は1981年の11月3日、4日の一泊二日の日程で行われました。
一日目に自家用車に乗り合いで広河原に入り、そこからバスで北沢峠まで上がり仙丈ヶ岳に登って来てから北沢峠でテント泊、翌日は仙水峠から甲斐駒ヶ岳に登ると言う計画でした。
初日の仙丈ヶ岳は良い天気に恵まれて頂上からの景色を堪能しました。

下山時にアイスバーンのトラバースがあって誰もアイゼンを持っていなかったので先輩がピッケルを使いステップを切ってくれましたが初めての体験でとても恐かった事を思い出します。
夜はテント場ですき焼きの大宴会をやって当時の山ではお決まりの歌など歌って楽しく過ごしました。


所が翌日は前日とはうって変わって悪天候で仙水峠に着く頃には雪になり冬の装備を持っていなかったため摩利支天を眺めただけで撤退して来ました。


この時の摩利支天の美しさをそれ以来忘れた事が無く、機会があれば絶対に甲斐駒に登ろうと心に誓った賢パパですが、その念願が叶うのはそれから23年後の2004年の事になります。