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愛犬の黒ラブ賢と飼い主である賢パパ、賢ママの日常を気楽につづります。

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Posted by naturum at

2009年06月13日

山の想い出(赤石岳遭難騒ぎ)

前のブログでもほんの少々紹介しましたが赤石岳登山ではちょっとした遭難騒ぎを起こしています。

1979年という記録が残っていますから賢パパが静岡に転勤してから5年後の事になりますがこの頃から少しずつ静岡市の郊外にある山などに登るようになりまして1981年には仙丈、甲斐駒にも出掛けて行きました。

その翌年の1982年に会社の同僚で渓流釣りと山の好きなO氏から赤石岳登山と聖沢での渓流釣りの企画が提案され一も二もなく賛成して7月31日の早朝、O氏の車で畑薙ダムを目指して静岡市を出発したのでした。

おりしも前日に「梅雨明け宣言」が出されたばかりで素晴らしい夏晴れの朝でした。

畑薙ダムからは東海パルプのリムジンバスに乗ってさわら島まで行き、8時半頃からこの日の宿泊地である赤石岳目指して登り始めました。

昼過ぎに赤石小屋に着いて昼食を済ませて再び歩き出す時には聖岳にうっすらとガスがかかっていましたがその後の天候の急変を知るよしもありませんから1日目の目的地である赤石避難小屋に向けて歩みを速めました。

所が、登るに連れてガスが濃くなり、そのうちに遠くでは雷の音も聞こえ始めました。

ほうほうの体で夕方の16時過ぎに避難小屋に着きましたが疲れと激しい雨音にすっかり気持ちは萎えてしまい、大量に持って行った酒類も缶ビール1本を呑むのがやっとで天候の悪化を予想するラジオを聴きながら明朝一番での下山を決めて早々に寝袋に潜り込みました。

翌朝は6時に赤石避難小屋を後にして一気にさわら島まで下りましたが途中の赤石小屋での休憩を20分取った事が後になって悔やまれたのでした。

と言うのはさわら島到着が9時40分でそのわずか10分前に9時半の定期リムジンが出た後だった事を知らされたからです。

次のリムジンは11時半に出る事になっていましたが待てども暮らせどもやって来ませんでした。

仕方がないのでさわら島で停滞してリムジンが動き出すのを待つ事にしましたが外は大雨で何もする事がなくてひたすら酒を飲んでいました。

前日の疲労のため荷物を少なくしようとして持って行った酒類は全部避難小屋において来てしまったのが悔やまれてなりませんでしたがまさに「後の祭り」でした。

一晩泊まってリムジンを待ちましたが林道の状況を見て来た人の話を聞くと復旧にはかなりの時間がかかりそうでリムジンの運行は望めないとの事でした。

それでは自力で下山するしかないと判断し、8月2日の11時にさわら島を後にして自力での下山を開始しました。

大井川は濁流と化し、畑薙橋は流失し、林道は至る所で崩壊していて道なき道をひたすら歩いてさんざん苦労して夜の8時に畑薙ダムサイトに到着してテントでビバーク。





昼間はやんでいた雨ですが夜中に再び降り出して慌ててバス停のベンチに避難したものです。

翌日は雨の中を歩いて井川まで下り、駅の緊急避難センターに行って無事下山した事を伝えてから民宿に移動しました。

この時初めて人心地つきました。

その晩は民宿に一泊して翌日に鉄道が一部区間のバス振り替え輸送を行い復旧した事でやっと静岡に帰り着きました。


独身寮に帰り着いてテレビのニュースを見るとちょうど「災害救助法」の発令により自衛隊のヘリが出動してさわら島からの登山客を安倍川河川敷に作られた臨時ヘリポートに運んで来た画像が放映されていました。

あのニュースを見た時は「えぇ~っ、俺たちが苦労してやっとたどり着いたと思ったらヘリで飛んで来たやつがいるじゃんっ!」って、がっくり来ましたが今になって思えばヘリで簡単に帰って来るよりも貴重な体験が出来て良かったと負け惜しみでなくそう思います。

帰って来た翌日から1週間ぐらいの出張があり、その後はそのままお盆休みに入ったので次に出社した頃にはすっかりほとぼりが冷めていたのがせめてもの救いでした。

この時一緒に山行したO氏はその後、山から遠ざかりますが賢パパは10月に次の山行で八ヶ岳に登る事になります。  


Posted by 賢パパ at 06:18Comments(2)山の想い出