2009年07月12日
山の想い出(19年ぶりの山歩き、浜石岳)
1982年の暮れから新年にかけての南アルプス茶臼岳への越年登山の後から2001年4月まで実に19年のブランクがあって
賢パパの山歩きが再開する事になります。
このブランクは結婚→子育てという家庭的な事情によるものでしたが当時は賢ママは山登りなど全くしませんでしたから仕方のない事です。
2001年というと今から8年前ですから下の娘が高校に入学したくらいでしょうか。
娘の高校の入学式も無事に終わって一息ついたのでしょうかねぇ、JR主催の「さわやかウォーク」の案内を電車の中吊り広告か何かで目にして興味を持ったのです。
コースは興津駅から薩埵峠を経由して由比駅まで歩くものでした。
その頃は薩埵峠なんてなじみがなかったし、興津から由比まで一駅なのは知っていましたがどのくらいの距離なのかも知らずに参加したのでした。
4月8日の暖かいと言うよりは暑いような日でしたが水も持たずに本当に身体一つで気軽に参加したものです。
コースには分岐の所に進行方向を示す矢印の書かれた看板が立てられていましたから初めての道でも迷う心配はありません。

順調に行程を消化して薩埵峠を越えた所で「浜石岳方面」の標識が目につきました。
せっかく峠に登ったのだからこのまま下ってしまうのはもったいないと言う気持ちが芽生えました。
そこで、ウォーキングのコースからは外れますが浜石岳を目指す事にしました。
標高差で500mぐらいのはずですから大したことはないと思って気楽に足を踏み入れたのが大間違いでした。
途中に水場はなく、出会う人も全くいません。



おまけに山頂からの下りでは時間短縮をしようと農道を外れて沢筋を下ったため途中で行き止まりとなりもう一度正規のルートへ登り返したのでとんでもない時間のロスに・・・
結局は初めから正規のルートを歩いた方が早かったのですが・・・・
そんなこんなで由比の駅に着いた時はもう死ぬかと思いましたよ。
それでも駅の売店で缶ビールを一本飲んで生き返った賢パパでした。
この時はほうほうの体で逃げ帰った賢パパですがこの山行は忘れていた楽しさを教えてくれた体験でこの後少しずつですが山歩きに復帰して行く賢パパなのです。
写真は後日同じルートを辿った時のものです。
賢パパの山歩きが再開する事になります。
このブランクは結婚→子育てという家庭的な事情によるものでしたが当時は賢ママは山登りなど全くしませんでしたから仕方のない事です。
2001年というと今から8年前ですから下の娘が高校に入学したくらいでしょうか。
娘の高校の入学式も無事に終わって一息ついたのでしょうかねぇ、JR主催の「さわやかウォーク」の案内を電車の中吊り広告か何かで目にして興味を持ったのです。
コースは興津駅から薩埵峠を経由して由比駅まで歩くものでした。
その頃は薩埵峠なんてなじみがなかったし、興津から由比まで一駅なのは知っていましたがどのくらいの距離なのかも知らずに参加したのでした。
4月8日の暖かいと言うよりは暑いような日でしたが水も持たずに本当に身体一つで気軽に参加したものです。
コースには分岐の所に進行方向を示す矢印の書かれた看板が立てられていましたから初めての道でも迷う心配はありません。
順調に行程を消化して薩埵峠を越えた所で「浜石岳方面」の標識が目につきました。
せっかく峠に登ったのだからこのまま下ってしまうのはもったいないと言う気持ちが芽生えました。
そこで、ウォーキングのコースからは外れますが浜石岳を目指す事にしました。
標高差で500mぐらいのはずですから大したことはないと思って気楽に足を踏み入れたのが大間違いでした。
途中に水場はなく、出会う人も全くいません。
おまけに山頂からの下りでは時間短縮をしようと農道を外れて沢筋を下ったため途中で行き止まりとなりもう一度正規のルートへ登り返したのでとんでもない時間のロスに・・・
結局は初めから正規のルートを歩いた方が早かったのですが・・・・
そんなこんなで由比の駅に着いた時はもう死ぬかと思いましたよ。
それでも駅の売店で缶ビールを一本飲んで生き返った賢パパでした。
この時はほうほうの体で逃げ帰った賢パパですがこの山行は忘れていた楽しさを教えてくれた体験でこの後少しずつですが山歩きに復帰して行く賢パパなのです。
写真は後日同じルートを辿った時のものです。