2011年07月01日
ササユリ
先日のハイキングの時に登山道を歩いているとこんな花が目に入りました。

ササユリという花なんですが、賢パパは静岡に来るまでこの花のことを知りませんでした。
それはなぜかと言うと・・・この花って分布が限られているからなんですね。
ものの本によれば・・・・「ササユリは本州中部地方以西~四国・九州に分布し・・・」とありますが、賢パパが指導を受けたことのある植物学の大先生は富士川から西に分布しているというのが通説だとおっしゃっていましたねぇ。
ただ、伊豆地方には「伊豆ゆり」という独特の種類があり、これはやまゆりとササユリの自然交雑種ではないかとの見方が有力だとの事でした。
もう20年も前のことになりますが、その植物学者の先生に連れられて伊豆半島の自生地まで伊豆ユリを見学に行ったことがありましたが、今ではネットで検索しても「伊豆ユリ」に関する記述は見ることが出来ません。
一体どうなってしまったんでしょうかねぇ?
おっと、本題に戻ります。
ササユリですが・・・学名をLilium japonicumと言います。
つまり「日本のユリ」というわけです。
これには「ヤマユリだって日本古来のユリなのに・・・」と異論を唱える方がおられるかも知れませんが・・・
命名者と目されているオランダ人がヤマユリのある東の地方に行ったことがなかったか、あるいは行った時期がユリの季節ではなかったのでヤマユリの標本を手に入れることが出来なかったためにこのササユリを「japonicum」と名づけたらしいというのが定説です。
賢パパは数ある花の中でもこのササユリが一番好きなのですが、その魅力は美しい姿と気高い香りに尽きます。
ヤマユリが頑丈な茎にたくさんの花をつけるのに対してこちらはか細い茎に一輪の花。
たまには二輪、三輪というのも見かけますが普通は大体一輪です。
香りもヤマユリの強烈な自己主張に比べてずっと控えめな・・・かと言って十分な存在感のある上品な香りです。
そして特筆すべきは・・・その栽培の難しさ。
かの植物学者の先生は乱獲と自然破壊によるササユリの激減に心を痛め、人工栽培で増殖が出来ればそれを自然に還すと同時に天燃香料の採取のような事業化にもつながると考え、賢パパの会社にその研究を薦めてくれたのです。
それを受け入れる形で賢パパ達が研究を始めました。
まずはササユリの自生地探しから研究に着手しましたねぇ。
そして、種子が稔る秋になると目星をつけておいた自生地に出向いて種子を採取して来ます。
これを業者さんに頼んで作ってもらった特製の箱に栽培に適した土を入れた播種箱に播くわけですが何しろ種子の数が多いので箱もハンパない数になりました。
そしてこの箱をウイルスから守るために媒介する昆虫が入ることの出来ない網室の中で管理して・・・翌年の春に芽が出ます。
1年目の苗は米粒ほどの小さな球根とたった1枚の小さな葉っぱだけで、これを気長に育てる事で3年目か4年目ぐらいでやっと茎が立つんです。
でも・・・・花が咲くのは更に1年か2年あるいは3年も後の事で種子を蒔いてから実に5,6年あるいは7年後ぐらいになってやっと初めての花が咲くのです。
この成長期間の長さを当時流行の「植物バイオテクノロジー」の技術を駆使して何とか半分ぐらいに縮められないかと様々な手段を尽くしたのでした。
結果は・・・途中撤退・・・でした。
このササユリには植物バイオもなすすべなく敗れ去りました。
この後数年で横浜に転勤となった賢パパはそれ以来このササユリにお目にかかるチャンスがほとんどありませんでした。
それが先日のハイキングで・・・・忘れかけていたこの美しいお姿に久しぶりでのご対面となり・・・・
その時の感激はとても文字で表すことは出来ません。
これだけでも大満足の賢パパだったのに・・・・8時間も歩いてバテバテになっている所に再びのサプライズでしたから・・・

疲れなんてどこかに吹っ飛んでしまい、揚々と歩いて行くと・・・

いや、もうあっちにもこっちにも・・・

疲れた身体と心に対する最高のご褒美でした。
こんな身近にあったササユリのこと・・・しっかり憶えていて・・・来年からも会いに行かなくては・・・
ササユリという花なんですが、賢パパは静岡に来るまでこの花のことを知りませんでした。
それはなぜかと言うと・・・この花って分布が限られているからなんですね。
ものの本によれば・・・・「ササユリは本州中部地方以西~四国・九州に分布し・・・」とありますが、賢パパが指導を受けたことのある植物学の大先生は富士川から西に分布しているというのが通説だとおっしゃっていましたねぇ。
ただ、伊豆地方には「伊豆ゆり」という独特の種類があり、これはやまゆりとササユリの自然交雑種ではないかとの見方が有力だとの事でした。
もう20年も前のことになりますが、その植物学者の先生に連れられて伊豆半島の自生地まで伊豆ユリを見学に行ったことがありましたが、今ではネットで検索しても「伊豆ユリ」に関する記述は見ることが出来ません。
一体どうなってしまったんでしょうかねぇ?
おっと、本題に戻ります。
ササユリですが・・・学名をLilium japonicumと言います。
つまり「日本のユリ」というわけです。
これには「ヤマユリだって日本古来のユリなのに・・・」と異論を唱える方がおられるかも知れませんが・・・
命名者と目されているオランダ人がヤマユリのある東の地方に行ったことがなかったか、あるいは行った時期がユリの季節ではなかったのでヤマユリの標本を手に入れることが出来なかったためにこのササユリを「japonicum」と名づけたらしいというのが定説です。
賢パパは数ある花の中でもこのササユリが一番好きなのですが、その魅力は美しい姿と気高い香りに尽きます。
ヤマユリが頑丈な茎にたくさんの花をつけるのに対してこちらはか細い茎に一輪の花。
たまには二輪、三輪というのも見かけますが普通は大体一輪です。
香りもヤマユリの強烈な自己主張に比べてずっと控えめな・・・かと言って十分な存在感のある上品な香りです。
そして特筆すべきは・・・その栽培の難しさ。
かの植物学者の先生は乱獲と自然破壊によるササユリの激減に心を痛め、人工栽培で増殖が出来ればそれを自然に還すと同時に天燃香料の採取のような事業化にもつながると考え、賢パパの会社にその研究を薦めてくれたのです。
それを受け入れる形で賢パパ達が研究を始めました。
まずはササユリの自生地探しから研究に着手しましたねぇ。
そして、種子が稔る秋になると目星をつけておいた自生地に出向いて種子を採取して来ます。
これを業者さんに頼んで作ってもらった特製の箱に栽培に適した土を入れた播種箱に播くわけですが何しろ種子の数が多いので箱もハンパない数になりました。
そしてこの箱をウイルスから守るために媒介する昆虫が入ることの出来ない網室の中で管理して・・・翌年の春に芽が出ます。
1年目の苗は米粒ほどの小さな球根とたった1枚の小さな葉っぱだけで、これを気長に育てる事で3年目か4年目ぐらいでやっと茎が立つんです。
でも・・・・花が咲くのは更に1年か2年あるいは3年も後の事で種子を蒔いてから実に5,6年あるいは7年後ぐらいになってやっと初めての花が咲くのです。
この成長期間の長さを当時流行の「植物バイオテクノロジー」の技術を駆使して何とか半分ぐらいに縮められないかと様々な手段を尽くしたのでした。
結果は・・・途中撤退・・・でした。
このササユリには植物バイオもなすすべなく敗れ去りました。
この後数年で横浜に転勤となった賢パパはそれ以来このササユリにお目にかかるチャンスがほとんどありませんでした。
それが先日のハイキングで・・・・忘れかけていたこの美しいお姿に久しぶりでのご対面となり・・・・
その時の感激はとても文字で表すことは出来ません。
これだけでも大満足の賢パパだったのに・・・・8時間も歩いてバテバテになっている所に再びのサプライズでしたから・・・
疲れなんてどこかに吹っ飛んでしまい、揚々と歩いて行くと・・・
いや、もうあっちにもこっちにも・・・
疲れた身体と心に対する最高のご褒美でした。
こんな身近にあったササユリのこと・・・しっかり憶えていて・・・来年からも会いに行かなくては・・・