2010年10月27日
おぉ~、こんなものが出て来ましたっ!
先日会社で机の上の本立てを整理していると、本と本の間からこんなものが出て来ました。

おぉ~、どこかに行っちゃったと思っていたら・・・・こんな所にありましたか!
懐かしいっすねぇ~。
昭和57年って事は1982年だから・・・今からもう28年も前の事だったんですねぇ。
と言う事は・・・・賢パパがまだ33歳ぐらいの時の事でしたか・・・・
今でもはっきりと思い出しますねぇ、あの時の事は・・・
会社の同僚だったO氏と二人で赤石岳に登り、帰りは聖沢でイワナ釣りをして来る予定で出掛けたのですがとんでもない目に遭ってしまったんですよねぇ。
初日の登山開始の時はあんなに良い天気だったのに・・・赤石小屋を通過した昼過ぎだって聖岳がはっきりと見えていたのに・・・
山の天気は変わりやすいとは言いますが・・・それにしても急変でした。
3時頃からの雨と雷。
遠くで鳴っているうちに避難小屋まで逃げ込もうと必死になって歩こうとしましたが・・・疲れて足が動きません。
山歩き歴40年になりますが・・・あんなにバテた事はありません。
ほうほうの体で逃げ込んだ赤石避難小屋でしたが持ち込んだビール、日本酒は喉を通らず・・・激しさを増す雨の音に翌朝早々の撤退を決め、少しでも身軽にしようとの思いで、大量の酒類は全て小屋に放棄。
土砂降りの雨の中を一目散にさわら島目指して駆け下りる。
途中、赤石小屋にて20分の休憩を・・・・後になってこの休憩を10分にしておけばと後悔する事になろうとは・・・・
9時40分にさわら島着。
東海パルプのリムジンバスが出たのは10分前の事でしたが、次のバスが11時に出るのでビールを飲みながらそれを待ちました。
所が・・・・待てど暮らせどリムジンは来ませんでした。
様子を見に行った人の話では道路が何カ所も崩落していてバスが通るのはとても無理だと・・・ここでようやく深刻な事態に陥っているとの認識が・・・でもじたばたしたって始まらないとビール&酒。
O氏と「こんな事になるのだったら避難小屋に放棄して来た酒を持って来るんだったなぁ」と悔しがる。
その日は結局一日中飲んで過ごしましたが雨の勢いは一向に衰える気配がなく、リムジンの運行は無理と判断した人達が自力で下山を始めましたが賢パパ達はもう少し様子を見る事にしてさわら島に宿泊。
そして目覚めると雨は上がっていましたが大井川の水位はとてつもない所まで上昇していて、降った雨のすごさを物語っていました。
これを見て楽天家の賢パパもリムジンの運行はないと判断して自力下山を開始。
初めは崩落箇所の数を数えながら歩いていましたがあまりの多さにとうとう数え切れなくなって途中でやめました。

更に衝撃的だったのが

あの立派なコンクリート造りの畑薙橋が跡形もなく流されていました。
どうして良いかわからず踊っている若者達。

賢パパ達もどうして良いかわからず途方に暮れました。
その時、あるパーティが大井川の右岸にトラバースルートがあるはずだからそれを使って大吊り橋まで行けるだろうと言います。
で、そのルートに取り付くようなので賢パパ達も頼んで同行させてもらう事にしたんです。
何とか大吊り橋までたどり着き、そこから畑薙ダムの駐車場まで行く事にしていた我々に、途中でビバークすると言うそのパーティのリーダーが手渡したのがこの手作りの登山ノートだったのです。
そこにはパーティのメンバーの電話番号が書いてあり、リーダーのお宅に電話して伝言を伝えてくれるよう頼まれました。
これがその時依頼された伝言です。

それから3日掛かりで何とか無事に静岡に戻れたんですが・・・一番ガックリ来たのが・・・賢パパ達が必死で歩いて自力下山を果たしたちょうどその頃、「災害救助法」の発令によって自衛隊の救助ヘリが出動し、さわら島に取り残されていた登山者を静岡市の安倍川に造られた臨時ヘリポートに下ろしたのです。
賢パパ達もあのままあそこにとどまっていればあんな苦労をしなくてもすんだのですよねぇ。
でも、あんな体験は頼んだってなかなか出来るものではありませんよ。
今となってはとても懐かしい想い出となっています。
そうそう、その時に伝言を依頼された方からは後日、栃木名産の大きな梨が送られて来て会社の同僚と美味しくいただきました。
おぉ~、どこかに行っちゃったと思っていたら・・・・こんな所にありましたか!
懐かしいっすねぇ~。
昭和57年って事は1982年だから・・・今からもう28年も前の事だったんですねぇ。
と言う事は・・・・賢パパがまだ33歳ぐらいの時の事でしたか・・・・
今でもはっきりと思い出しますねぇ、あの時の事は・・・
会社の同僚だったO氏と二人で赤石岳に登り、帰りは聖沢でイワナ釣りをして来る予定で出掛けたのですがとんでもない目に遭ってしまったんですよねぇ。
初日の登山開始の時はあんなに良い天気だったのに・・・赤石小屋を通過した昼過ぎだって聖岳がはっきりと見えていたのに・・・
山の天気は変わりやすいとは言いますが・・・それにしても急変でした。
3時頃からの雨と雷。
遠くで鳴っているうちに避難小屋まで逃げ込もうと必死になって歩こうとしましたが・・・疲れて足が動きません。
山歩き歴40年になりますが・・・あんなにバテた事はありません。
ほうほうの体で逃げ込んだ赤石避難小屋でしたが持ち込んだビール、日本酒は喉を通らず・・・激しさを増す雨の音に翌朝早々の撤退を決め、少しでも身軽にしようとの思いで、大量の酒類は全て小屋に放棄。
土砂降りの雨の中を一目散にさわら島目指して駆け下りる。
途中、赤石小屋にて20分の休憩を・・・・後になってこの休憩を10分にしておけばと後悔する事になろうとは・・・・
9時40分にさわら島着。
東海パルプのリムジンバスが出たのは10分前の事でしたが、次のバスが11時に出るのでビールを飲みながらそれを待ちました。
所が・・・・待てど暮らせどリムジンは来ませんでした。
様子を見に行った人の話では道路が何カ所も崩落していてバスが通るのはとても無理だと・・・ここでようやく深刻な事態に陥っているとの認識が・・・でもじたばたしたって始まらないとビール&酒。
O氏と「こんな事になるのだったら避難小屋に放棄して来た酒を持って来るんだったなぁ」と悔しがる。
その日は結局一日中飲んで過ごしましたが雨の勢いは一向に衰える気配がなく、リムジンの運行は無理と判断した人達が自力で下山を始めましたが賢パパ達はもう少し様子を見る事にしてさわら島に宿泊。
そして目覚めると雨は上がっていましたが大井川の水位はとてつもない所まで上昇していて、降った雨のすごさを物語っていました。
これを見て楽天家の賢パパもリムジンの運行はないと判断して自力下山を開始。
初めは崩落箇所の数を数えながら歩いていましたがあまりの多さにとうとう数え切れなくなって途中でやめました。
更に衝撃的だったのが
あの立派なコンクリート造りの畑薙橋が跡形もなく流されていました。
どうして良いかわからず踊っている若者達。
賢パパ達もどうして良いかわからず途方に暮れました。
その時、あるパーティが大井川の右岸にトラバースルートがあるはずだからそれを使って大吊り橋まで行けるだろうと言います。
で、そのルートに取り付くようなので賢パパ達も頼んで同行させてもらう事にしたんです。
何とか大吊り橋までたどり着き、そこから畑薙ダムの駐車場まで行く事にしていた我々に、途中でビバークすると言うそのパーティのリーダーが手渡したのがこの手作りの登山ノートだったのです。
そこにはパーティのメンバーの電話番号が書いてあり、リーダーのお宅に電話して伝言を伝えてくれるよう頼まれました。
これがその時依頼された伝言です。
それから3日掛かりで何とか無事に静岡に戻れたんですが・・・一番ガックリ来たのが・・・賢パパ達が必死で歩いて自力下山を果たしたちょうどその頃、「災害救助法」の発令によって自衛隊の救助ヘリが出動し、さわら島に取り残されていた登山者を静岡市の安倍川に造られた臨時ヘリポートに下ろしたのです。
賢パパ達もあのままあそこにとどまっていればあんな苦労をしなくてもすんだのですよねぇ。
でも、あんな体験は頼んだってなかなか出来るものではありませんよ。
今となってはとても懐かしい想い出となっています。
そうそう、その時に伝言を依頼された方からは後日、栃木名産の大きな梨が送られて来て会社の同僚と美味しくいただきました。
Posted by 賢パパ at 03:47│Comments(6)
│山の想い出
この記事へのコメント
賢パパさん こんばんは
それにしても凄い経験をされましたね。
畑薙橋の写真が衝撃的でした。
今では携帯の電波が届く限り情報、対処方法も選択できるようになりましたが、やはり自己判断ですものね。
怪我をされずに無事下山できたお陰で、今でも山頂ポーズが思う存分出来ちゃう。
運の強い賢パパさんで~す。
それにしても凄い経験をされましたね。
畑薙橋の写真が衝撃的でした。
今では携帯の電波が届く限り情報、対処方法も選択できるようになりましたが、やはり自己判断ですものね。
怪我をされずに無事下山できたお陰で、今でも山頂ポーズが思う存分出来ちゃう。
運の強い賢パパさんで~す。
Posted by sumiko at 2010年10月27日 16:47
sumikoさん、どうもっす!
この時の被害は甚大で広河原は壊滅的な打撃を受けて復旧に何年もかかりました。
命を落とされた方も大勢いて、我々も一歩間違えたら大井川の濁流の中という危ない所を通って下って来ました。
本当に無事に下山する事が出来たから今の賢パパがあって、山頂ポーズ・・・
運が良かったです。
ついでにこの強運でサッカーくじBIG当たんないですかねぇ~。
この時の被害は甚大で広河原は壊滅的な打撃を受けて復旧に何年もかかりました。
命を落とされた方も大勢いて、我々も一歩間違えたら大井川の濁流の中という危ない所を通って下って来ました。
本当に無事に下山する事が出来たから今の賢パパがあって、山頂ポーズ・・・
運が良かったです。
ついでにこの強運でサッカーくじBIG当たんないですかねぇ~。
Posted by 賢パパ
at 2010年10月27日 17:14

賢パパさん こんばんは~(o^-^o)
それにしても、凄い経験談です(〇o〇;)
確かにそのレベルだと災害派遣が掛かりますね。
よく無事に下山されましたね~。
私では無理そうです。
あまり状況が酷い時は救助を待つのが良いのかもですね(o^∇^o)ノ
勉強になりました!!!
それにしても、凄い経験談です(〇o〇;)
確かにそのレベルだと災害派遣が掛かりますね。
よく無事に下山されましたね~。
私では無理そうです。
あまり状況が酷い時は救助を待つのが良いのかもですね(o^∇^o)ノ
勉強になりました!!!
Posted by かっちん at 2010年10月27日 19:50
おぉ~、かっちんさん、こんばんは!
災害派遣って、かっちんさん、元本業だったんですよねぇ。
一度はあのヘリに乗ってみたかったんですが・・・会社そんなに長く休めないし・・・と思って必死で歩きました。
3日掛かりで歩いたのと・・・1時間もかからずにヘリで救助と・・・着いた時刻は変わりませんからねぇ。
救助が来るとわかっていれば・・・おとなしく酒飲んで待っていたかも・・・
災害派遣って、かっちんさん、元本業だったんですよねぇ。
一度はあのヘリに乗ってみたかったんですが・・・会社そんなに長く休めないし・・・と思って必死で歩きました。
3日掛かりで歩いたのと・・・1時間もかからずにヘリで救助と・・・着いた時刻は変わりませんからねぇ。
救助が来るとわかっていれば・・・おとなしく酒飲んで待っていたかも・・・
Posted by 賢パパ
at 2010年10月27日 20:43

賢パパさん、こんにちは!
会社の机の上の本棚から、こんなすごい記録が出てくるんですね!!
な、なぜ会社に・・・。
それにしても、大変な体験をされたのですね。
お写真見ても凄いです。。。
ブログ、幅が完璧になりましたね^^!良かったです♪
会社の机の上の本棚から、こんなすごい記録が出てくるんですね!!
な、なぜ会社に・・・。
それにしても、大変な体験をされたのですね。
お写真見ても凄いです。。。
ブログ、幅が完璧になりましたね^^!良かったです♪
Posted by キキ at 2010年10月28日 08:57
キキさん、どうもっす!
賢パパの会社の机の上には山の本があったり、どういうわけか30年も前の「山渓」の付録の登山手帳があったりするんですよ。
で、その登山手帳と登山手帳の間に挟んであったのをすっかり忘れていたんです。
まだ30代前半で工場長ぐらいの時でしたが赤石の稜線への最後の登りではヘロヘロ~でした。
今はもうあそこを登るなんてとっても無理なんだろうなぁ~。
ブログの幅、お陰様で完璧になりました。
送っていただいたソフトを使いこなせないので一枚ずついちいち縮小してアップしてますよ。
あ~ざっした!
賢パパの会社の机の上には山の本があったり、どういうわけか30年も前の「山渓」の付録の登山手帳があったりするんですよ。
で、その登山手帳と登山手帳の間に挟んであったのをすっかり忘れていたんです。
まだ30代前半で工場長ぐらいの時でしたが赤石の稜線への最後の登りではヘロヘロ~でした。
今はもうあそこを登るなんてとっても無理なんだろうなぁ~。
ブログの幅、お陰様で完璧になりました。
送っていただいたソフトを使いこなせないので一枚ずついちいち縮小してアップしてますよ。
あ~ざっした!
Posted by 賢パパ
at 2010年10月28日 16:16

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